竹田ペーター

人生をこの上なく楽しみ、笑顔爆弾を撒き散らすスペシャリスト!
羊飼いの竹田ペーターです!

僕の仕事は、人生において、

『いろんなものを背負いこみ過ぎている』
『自信がない』
『自分の意見が言えない』
『頑張っても、頑張ってもなかなか結果が出ない』
『もう少し気楽に生きて生きたい』

という悩みを持っている方に

『やることやって、笑って気楽に生きていく』

という人生を送るサポートをしているんだ。

僕は正直言うと、お金も結構稼げる。
それだけじゃなくモテモテだ。

特に最近は女子高生にモテモテだけど、
20歳未満には手を出さないように気をつけている。

なんせモテモテだからだ。

今の仕事をやるにあたった『きっかけ』が
僕が26歳の時にあった、2016年7月に出逢った、
とある企業が開催している

『じぶんが商品』

というあるプロジェクトの説明会に行ったのが
きっかけである。

説明会に行くまでのきっかけをお話しする前に
軽く、僕のストーリをお伝えしよう。

1991年1月25日生まれ。
竹田ペーター
父は日本人。母も日本人。
生粋の日本人である。

父は、お寿司屋さんを経営し
母は介護職をしていた。

幼少期の頃から週に一回程
父のお店にお手伝いをしに行き
父の輝いている姿を見て
いつのまにか僕の中で
『大人=人生をおもいっきり楽しんでいる』
という方程式ができていた。

小学生の頃に、僕は母親から暴力を受けていた。
顔を踏まれるのは日常茶飯事で、
家を追い出されるなんてことは当たり前だった。

僕には弟が一人いる。
名前はピーターではありませんが、
あえてここでは弟のことをピーターと呼ぼう。

そして怒られる時も、追い出される時も
たいがいピーターと一緒だった。
そのためかも知れないが、怒られても追い出されても
全くといって苦じゃなかった。

というのも、追い出されたとしても
問題は

『追い出されたこと』

ではないと思っていたからだ。

僕とピーターの中では、

『そのうち家に入れる』
というのがあったからだ。

最悪、隣の家に入れてもらえば良い。
だからこそ、追い出されても、
僕とピーターは笑って過ごせた。

最悪、隣の家に入れてもらえば良い。
だからこそ、追い出されても、
僕とピーターは笑って過ごせた。

時間を過ごす方法さえ考えれば、
何もなかったのと同じだ。
小学生の頃は、

何があっても笑って過ごしていた。
小学生ながら、
笑っていればなんとかなると知っていたからだ。

そして2003年中学校に入学。
中学校も笑って過ごした。
唯一泣いたことは、女の子に振られたときだ。

いや〜あれは悲しいね(笑)
特に振られて数日後に、
その子が誰かと一緒に下校しているのを見たときだね(泣)

そんなこんなで2004年9月24日がやってきた。
これは人類にとって、非常に重要な日だ。

この日に何が起きたかというと
近鉄バッファローズの旧大阪ドーム最後の試合だった。

僕は泣いた。
猛烈に泣いた。
試合はナイターだった。

その日は学校だった。
雨がザーーーーっとどしゃ降りだった。

まるで天気が僕の心と同調してるようだった。
その時に1つ思ったことがある。

『えっ!?俺、天気操れんちゃうん!?』

と正直思ったことは、内緒にしといてほしい。

中学を卒業し、
高校は多少倍率が高いところに入学。

大体のことは笑ってりゃなんとかなるけど、
僕はやることはちゃんとやる。

入学したのつか間、とりあえず留年。
留年を知らせる電話を受けた時には衝撃的だった。

電話で先生から伝えられるのだが、
今思い返すとその時も笑っていた(笑)

結局セカンドフレッシュマン(二回目の一年生)
の年で中退。

辞めた理由は、もともと勉強が好きでもないし、
単に早く稼いで好きなものを買ったりしたかっただけなんだけど。

そして時が過ぎ…2007年。

この頃父は、とっくに店を廃業していた。
そして僕は高校を中退し、鳶職をした。

そこではいろんな人を見た。

元ヤンキーだった人、元暴力団の人、
中には東大を中退し、好きで鳶職になった人。
本当にいろんな人を見た。

その中でほとんどの人に共通し、僕が感じたこと、
それが

『みんな文句ばっかり言うてんなぁ』

だった。

たら、ればの話ばかりで、
『今』から目をそらしているように見えた。

2年後の2009年に某携帯ショップの代理店に入社。
入社から2年で店長になり、
店長を2年経験しスーパーバイザーまで昇進した。

しかしその時も上司や部下を見ていると
喋る内容は文句ばかり。

当時32歳だった部下に一度質問をしてみた。
『なんでこの仕事してんの?』と。

部下が口を開いてこう言った。
『特にやりたいことも見つからないし、お金のためです。』

その言葉を聞いた瞬間に、僕の中で頭に
『ピシャーーーン!!』と雷のようなものが落ちた。

おそらく僕が無意識に思い描いていた

『大人=人生をおもいっきり楽しんでいる』

という方程式に全く当てはまらなかったからだろう。

そういった経験もあり、僕の夢はいつしか
『人が夢を叶えれる環境を、提供する会社でを創り
個々がそれぞれの望む成長を手に入れれる組織の育成』
になっていた。

そこでその夢を叶えようとネット検索して、
たまたま出逢ったのが先ほどのプロジェクトである。

この転機を話さずに、『竹田ペーター』は語れない!

先ほどからお伝えしているとあるプロジェクトで、
わずか56日で1,188,000円の収入を得てしまった。

『稼げた自分』に関しては良かったものの
『心の中の違和感』を放置する日々が続いた。

しかしその『違和感』から解放される日が
ついにきたのである!

それは『3つの合宿』との運命的な出逢いであった。

一つ目が、本来の自分を取り戻すための合宿。

二つ目が、本来の自分が果たすべき使命と、
その使命を生き切った先に広がる世界を見つけるための合宿。

三つ目が、『自分』という人間を
たくさんの悩める子羊に届けるための手段を学ぶ合宿。

その3つを経て、
自分がサポートしたい人たちへの想いが募り
そこに手を貸してくれる仲間がいたからこそ、
ついに『竹田ペーター』は誕生したのである。

最初のプロジェクトであっけなくお金を稼げてしまった。
でも、僕自身が本当にやりたかったことは、

『いろいろなことを気にしすぎて、考えすぎて、
そして疲弊してしまっている人達の人生を
心からの笑顔で満たし、現実的な成功に導くこと』

なのだ。

人生の中で、ほとんどのことは考えなくていい!
でも多くの人は、考える必要もないことに悩み、苦しんでいる。

それらを全部まるっと投げ捨てて、
残った『やらなければいけないこと』だけに注力し、
あとはにっこり笑っていれば人生上手くいくのである。

僕から見ると、そういう
『悩まなくていいことで悩んでいる人たち』は、
まるで迷える子羊のように見えるんだ。

僕が本当に望んでいたことは、

『人生を難しく考えすぎて、悩んだ挙句、人生が上手く行かない』

という『悩みや苦しみ』に対して『リターンが小さすぎる人』の人生を調整して、
人生を笑い飛ばし、愉快に楽しみながら、成果を得られる状態に
導くこと、サポートすることなんだ。

そう言う想いが募りに募り、
形となって、竹田ペーターは誕生した。

先ほどからお伝えしている
『じぶんが商品』のプロジェクトは実に参加者が多かった。

100名近くの人が参加していた。

そう、そこには100個の人生があったのだ。

そして56日間のプロジェクトの幕が開いた。

僕はとにかく行動しようと思った。

がむしゃらに行動した。

うまくいっている人。
うまくいかない人。
途中で投げ出す人。

いろんな人がいた。

人によって様々だが
僕の生きてきた道に1つの答えがあった。

このプロジェクトで確信に変わったのだ。

それは

『やることやってにっこり笑ってりゃなんとかなる』

と言う1つの想いだった。

うまくいっている人はそれで良いと思う。

しかし、じぶんが『うまくいかない』とか
『とにかく逃げ出したい』や『苦しい』
と思う人は頑張りすぎなんだと思う。

常に力を振り絞っていても疲れるでしょ。

『気楽にいて、瞬間瞬間に全力を出す』

それだけでいいのだ。

もしそれで欲しい結果が出なければ

・全力を出す『ポイント』
・全力の出し方

がもしかすると、少しだけズレていただけかもしれない。

『全力のじぶん』と『お気楽なじぶん』の
バランスを保てばいい。

ただそれだけで自然と笑顔が溢れ、幸せな気持ちになれる。

56日間が過ぎ、この『じぶんが商品』のプロジェクトの幕を閉じた。
結果的に僕は携帯販売の代理店に勤めながらも
『1,188,000円という金額を稼げた』。

プロジェクトが終わってからもそこで学んだことを活かし
活動している。
携帯販売代理店はもうとっくに辞めている。

僕は『全力とお気楽』のバランスをとっている。
そのためか、中には僕のことを
『ニヤニヤしてるだけのやつ』『テキトーなやつ』
と言われることはある。

ただなにを言われても気にならない。

なぜかと言うとお気楽の時はテキトーだからだ。

バカボンのパパも言っていた!

『それでいいのだ』と…!!!

僕の人生においてのミッションは
『人生に輝きをもたらすこと。』

僕にとって輝きとは?
『人に素直な笑顔を連鎖させること』
まるで夜の闇に燦然と輝く星たちのように…

そうだ。
笑顔流星群とでも名付けよう。

世界には、約74億1600万人。
この74億1600万人の笑顔という名の星が
個々に輝いた時。

今の世の中。
いや、今の世界も、これからの世界も
全員が心のそこから素直に『幸せ』と感じる時が来るだろう。

僕がその世界を創っていく。